2019年度アジア法学会研究大会 開催概要

投稿者: | 23/05/2019

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【日時】

個別報告 2019年6月22日(土) 14:00受付開始 14:30~17:00

シンポジウム 2019年6月23日(日) 9:30受付開始 10:00〜16:30

【場所】

東京大学東洋文化研究所(本郷キャンパス)3階大会議室(最寄りの門は懐徳門です)

なお、会場では、eduroamによるWifi利用が可能です。

1日目 6月22日(土) 14:00受付開始

個別報告

14:00  受付開始

14:30~15:20 第1報告 高橋岩和会員「ASEAN諸国における競争法の現段階」

15:20~16:10 第2報告 河村有教会員「自由で開かれたインド太平洋における『法の支配』と海洋平和」

16:10~17:00 第3報告 佐藤安信会員「ベトナムにおける国際商事仲裁と民事訴訟の実務:私はなぜハノイ人民裁判所に訴えられたのか?」

  • およその目安は、各報告30分、質疑20分。

※各報告の報告要旨は最後にあります。

総会 17:00~17:30

懇親会 18:00~20:00 (会費の目安:一般会員5000円、院生・研究生等3000円)

2日目 6月23日(日)09:30受付開始

シンポジウム

【テーマ】アジアにおける司法制度の形成と植民地近代

【企画趣旨】

 アジアにおける「法」の意味を考え、その実態を知る上で、ひとつの重要な視角となるのは、司法の制度・作用がどのように確立され、機能しているのかという点である。

 本企画では、各国(地域)における司法の形成過程でどのような要因が働いたのかを歴史的に検討することを通して、それぞれの国(地域)の「法」の特色・問題、ひいては「アジア法」に潜在する共通の課題を考えることとしたい。

 ここでとりあげる「司法」とは「近代的」(西洋の生んだ)な司法である。これはアジアの多くの地域では植民地支配を通じて導入された。この点、東アジアにおいては、日本が植民地支配を通じた法制度の伝播において占める位置づけも考慮する必要がある。このため、シンポジウムの内容としては、

 Ⅰ 日本と被植民地支配地域における司法の形成

 Ⅱ 他の被植民地支配地域における司法の形成

の二つの柱を考えている。

【プログラム】

趣旨説明(國分典子)10:00~10:10

司会(西澤希久男)

午前の部      10:00~12:10

Ⅰ 日本と被植民地支配地域における司法の形成

 1、近代日本の司法形成をめぐる内的視点と外的視点(岩谷十郎)

 2、台湾における司法の形成―「慣習」「文化」の多元性を媒介として―(宮畑加奈子)

 3、朝鮮半島における「近代的」司法形成と法律家の養成(岡崎まゆみ)

午後の部      13:40~16:30

Ⅱ 他の被植民地支配地域における司法の形成

 1、植民地期カンボジアにおけるフランス型司法制度の『継受』(傘谷祐之)

 2、植民地期インドにおける司法-特にイギリス枢密院司法委員会への上訴制度から-(比嘉義秀)

Ⅲ 質疑・討論

  • 報告は各40分を予定。

※各報告の報告要旨は最後にあります。

個別報告 報告要旨

第1報告 高橋岩和会員「ASEAN諸国における競争法の現段階」

 競争法は世界に広がっている。ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国においても多くの国が今日競争法を有している。ASEAN諸国に共通の競争法はないが、ASEAN競争法というものがEU競争法のように想定できるとすれば、それを成立させる条件はどのようなものであり、成立した競争法はどのような特徴を有するものとなるであろうか、また統一的ASEAN競争法の成否にかかわらず、ASEAN諸国の各競争法は今後どのような方向で発展し、またいかなる役割を各国経済において果たすことになるであろうか、これらを考えてみたい。

 そもそも競争法には経済力原則禁止法制と経済力濫用防止法制とが区別できるが、前者が今日世界の競争法の大勢である。これにはEU型とアメリカ型を区別することができる。EU型競争法は共同行為規制と一方的行為としての濫用行為規制を二本柱とし、加えて第三の柱としてのM&A規制、さらに適用除外制度から構成されている。アメリカ型競争法はカルテル禁止、独占禁止、不公正な競争方法の禁止を三本柱とし、M&A規制を合わせて行うものである。ASEAN諸国の競争法はおおむねEU型である。ちなみに日本はアメリカ型である。今日、EU型とアメリカ型における競争法の運用はかなり接近してきている。特にM&A規制と共同行為規制は要件、効果がほぼ同じとなっており、残る大きな違いはEU型における濫用規制とアメリカ型における独占・不公正な競争方法規制の領域にみることができるが、この分野における規制もその調和がはかられつつある。

 ASEAN競争法の成立条件ないしASEAN諸国各競争法の発展方向を考えようとすると、次の三点があげられよう。第一に、各国の経済の構造に応じて、産業政策・産業法のあり方を特に価格と参入に関して競争政策・競争法と相互補完的関係になるように改変していくことが必要となろう。第二に、第一の成立条件とも関連するが、非契約社会でかつ取引当事者の一方が圧倒的に中小零細企業である経済構造を前提として、中小零細企業が参加しうるような競争のあり方、具体的にはとくに縦の取引関係におけるいわゆる「相対的市場力規制」を強化することが必要であろう。これにより「公正な競争の秩序」の実現を目指すということになろう。第三に、多国籍企業による市場支配を防止するための諸措置、たとえば各種の適用除外制度の設定と活用といったことが必要となろう。

第2報告 河村有教会員「自由で開かれたインド太平洋における『法の支配』と海洋平和」

 日本政府による「海洋における自由で開かれたインド太平洋(Free and Open Indo-Pacific)」政策は、「地球儀を俯瞰する外交」、「国際協調主義に基づく『積極的平和主義』」を中心とする外交戦略である。将来の国際社会の平和・安定・繁栄の鍵を握るのは、「二つの大陸(アジア,アフリカ)」と「二つの大洋(太平洋,インド洋)」であるとして、日本が、いずれの国にも安定、繁栄をもたらすための、包括的かつ透明性のある方法で、法の支配を含むルールに基づく国際秩序の確保、航行の自由、紛争の平和的解決、自由貿易の推進を通じて、インド太平洋を「国際公共財」として自由で開かれたものとするべく、実現に向けて動いている。実現に向けての具体的な三本柱として、①法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着、②(東南アジアや南西アジア、東南アジア・南西アジア・中東・東南部アフリカの物理的・人的・制度的連結性やFTA/EPAや投資協定等、経済連携の強化による経済的繁栄の追求、③海上法執行能力の構築、人道支援・災害救援・海賊対策・テロ対策・不拡散分野等での協力による平和と安定の確保があげられている。

 他方で、中華人民共和国(以下では、中国)が目指す経済・外交圏構想として、「一帯一路(One Belt, One Road)」政策がある。中国西部・中央アジア・欧州を結ぶシルクロード経済帯と中国沿岸部・東南アジア・インド・アフリカ・中東・欧州と連なる21世紀海上シルクロードにおいて、インフラ整備をはかりながら、貿易を促進しようとするものである。しかしながら、インフラ投資で途上国を債務の返済が不能に陥れるようなケースが指摘されており、いずれの国にも安定・繁栄をもたらすものではなく、中国一国の安定・繁栄をもたらすものであるとの強い批判が生じている。

 そうした中で、将来の国際社会の平和・安定・繁栄において、いずれの国にも安定・繁栄をもたらすための、包括的かつ透明性のある方法で、ルールに基づく国際秩序の確保、航行の自由、紛争の平和的解決、自由貿易の実現を主体的に目指そうとする日本政府の方針は見直されてもよいだろう。経済的・時間的なコストは大きくかかるものの、インフラの整備以上に重要な各国の制度構築支援や人材育成支援にも取り組んでいる。「開発面に加えて、政治面・ガバナンス面でも『押しつけや介入ではなく、オーナーシップを尊重』した支援』という日本の法制度構築支援(法整備支援)で培われた知恵が活かされており、アジア、アフリカ等の日本の海上法執行能力の構築支援においても、「押しつけや介入ではなく、オーナーシップを尊重した支援」が理念とされている。

 本報告では、将来の国際社会の平和・安定・繁栄のために、法の支配を含むルールに基づく国際秩序の確保に焦点をあてて、自由で開かれたインド太平洋における「法の支配」の推進について、その課題を検討しつつ、アジア諸国の法における「多元的法体制」における法の支配の問題を考えてきたアジア法研究者の一人である報告者の見解を述べたい。

 2020年4月に京都で開催が予定されている第14回国連犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)においても、全体テーマとして、「2030アジェンダの達成に向けた犯罪防止、刑事司法及び法の支配の推進」が掲げられている。アジア、アフリカ社会を中心にルールに基づく国際秩序の確保を可能とする「法の支配」のあり方について検討したい。

第3報告 佐藤安信会員「ベトナムにおける国際商事仲裁と民事訴訟の実務:私はなぜハノイ人民裁判所に訴えられたのか?」

 報告者は、ハノイのベトナム国際仲裁センター(VIAC)の商事仲裁事件の第三者仲裁人(3名の仲裁人から構成される仲裁廷の議長)として、中国の国有企業によるベトナムの国有企業に対するインフラ建設にかかる損害賠償事件を担当した。USAIDなどが支援してできた2010年商事仲裁法と、VIACに基づき、ベトナム法に準拠した仲裁事件である。申立人である中国企業の申し立てた保全処分を命じたところ、相手方である中国企業から、仲裁人個人及び仲裁廷として、ハノイ人民裁判所において、不当な保全処分を出したことによる損害賠償訴訟を提起された。このため、ハノイでの審問を回避、シンガポールと大阪で審問を行い、本年3月に、最終仲裁判断を言い渡した。当該保全処分は執行もされてもおらず、したがって損害がないことを持って、昨年秋に本件訴訟は棄却されていた。しかし、当該判決では、仲裁廷の保全処分は不当違法なものであったのと判断もあり、ベトナム企業は即日控訴し、以後控訴審は係属したものの期日も開かれることもなく、2019年5月14日現在、依然として係属中のようである。そもそも、当該訴訟に適用される民事訴訟法は、我が国の法整備支援によって起草されたものである。何故このような訴訟が可能であり、ベトナムでの民事訴訟法の運用がどうなっているのか、自らのこの、「生体実験」ともいうべき案件の顛末について報告をする。仲裁は非公開であり、仲裁人には案件の内容について秘匿の義務があるため、当該仲裁案件の詳細を公にはできない。しかし、審理の過程で議論された、やはり日本が鳴り物入りで支援した、民法上の論点などを交えながら、法整備支援の課題とベトナムの民事訴訟実務の実態について議論する。他方、中国は、現在一帯一路イニシアティブによる資本輸出国としての立場から、国際的は商事紛争処理について新たな戦略を打って出ている。昨年6月、深センと西安において、一帯一路で発生する紛争処理のための特別裁判所として、最高人民裁判所の管轄下に「国際商事裁判所」が設置された。既に、日本企業にも、中国企業との取引において、この国際商事裁判所を管轄とし、中国法を準拠法とすることに合意することが求められているという。中国の狙いは何か、今後の日本企業などに及ぼす影響を分析し、持続可能なビジネスのために、日本が今後なすべき協力の可能性を考察する。

シンポジウム 報告要旨

Ⅰ 日本と被植民地支配地域における司法の形成

1、近代日本の司法形成をめぐる内的視点と外的視点(岩谷十郎)

 日本法の近代化過程を歴史分析の対象とする日本近代法史学において、司法制度の近代的形成というトピックはそれ自体、分野を代表する大きな研究課題である。本報告では、日本の近代司法の形成を19世紀末のアジア的視点から眺めてみる、との本シンポジウムの趣旨に基づき、これまで明らかにされてきた通説的な説明や素材を踏まえつつも、少し異なる観点からの歴史像を提供したいと考える。

 「開国という意味には、自己を外つまり国際社会に開くと同時に、国際社会にたいして自己を国=統一国家として画するという両面性が内包されている」とは、丸山真男の言葉だが(『日本の思想』)、不平等条約下の治外法権の克服という外圧と、その下に破竹の勢いで進められた国内司法秩序の統一という内政問題の解決とが、あたかもコインの表裏の関係の如く絡まって「日本法」の近代化が進行してゆく。その過程を、裁判制度の確立や司法人材の養成問題を中軸として(内的視点)、外国人との具体的な争訟や条約改正会議等における列強各国の思惑(外的視点)とも関連付けて素描してみたい。

〔参考文献〕

岩谷十郎著『明治日本の法解釈と法律家』(慶應義塾大学法学研究会、2012年)

岩谷十郎・片山直也・北居功編著『法典とは何か』(慶應義塾大学出版会、2014年)

2、台湾における司法の形成―「慣習」「文化」の多元性を媒介として―(宮畑加奈子)

 1895年に始まる日本の台湾領有は、1894年にようやく実現した不平等条約改正に向かう途上にあって、「国際法上では国内」、「国内法上では国外」という矛盾を当初から抱え込みながら進展した。法律の効力を有する命令である「律令」による委任立法権を台湾総督に付与した法律六三号を契機として浮上した憲法施行の有無をめぐる議論はこの矛盾点を体現するものでもあった。台湾への憲法施行を肯定した政府見解に対し当初これを否定した美濃部達吉は、一九一二年刊行の『憲法講話』の中でその根拠として、参政権の不存在、立法権と行政権の未分離に加え、司法権の不完全な独立を指摘する一方で、判官の地位に対する総督の干渉を除いて「司法権の独立は略完全に行はれて居る」とも述べ、台湾の司法制度につき自論を展開している。本報告では、美濃部をして「略完全な」と評せしめた司法権独立の状況や、専門的な法学識を備えた人材登用が日本で進展した1930年代(岩谷十郎『明治日本の法解釈と法律家』)を遙かにさかのぼる1895年から、日本統治の終期となる1945年までの台湾司法制度の変遷につき、軍政期の裁判制度および日本の裁判所構成法に相当する「台湾総督府法院条例」の改正過程、台湾法史のパイオニアである台湾大学・王泰升教授の近年の労作である司法統計等を基礎資料として、再考を試みる。その際、行政機関である台湾総督府が立法および司法を統理する中、台湾を日本の異法域として存続させる媒介ともなった「慣習」や「文化」の要素に着目して論ずるものとする。

3、朝鮮半島における「近代的」司法形成と法律家の養成(岡崎まゆみ)

 19世紀末以降、植民地期(1910〜1945年)にかけて、朝鮮半島では日本の影響下あるいは支配下で「近代的」な司法制度の整備が展開された。それまで一体化していた行政と司法を分離しようとする過程は、在来の裁判機関や手続はもとより、規範や法概念、朝鮮人の訴訟に対する意識や社会通念にまで、少なからぬ変化をもたらした。

 この司法制度の整備過程において重要な課題とされたのが、「近代法」の知識をもつ“新しい”法律家の確保と養成であった。当初、日本での法学の修学経験をもつ日本人や朝鮮人によって占められていた“新しい”法律家たちが、やがて朝鮮半島のなかだけで“新しい”法律家を養成してゆくようになるが、帝国日本という枠組みにおいては、そうした法律家もまた「包摂と排除」の対象であった。そしてかれらは、帝国日本の「近代法」の伝播を媒介する存在でありながら、植民統治と朝鮮社会の間にある緊張関係を、具体的な争訟を通じて語る代弁者としての役割をも担うことになったのである。

 本報告では、植民地期以前より始まる朝鮮半島における司法制度の整備過程と運用について、それを可能にした“人的資源”の確保とその養成という側面から素描し、またその問題点に触れながら、かれらの存在が、同時代の朝鮮半島における社会と法の関係にどのようなインパクトを与えたかという点にも言及できればと考えている。

Ⅱ 他の被植民地支配地域における司法の形成

1、植民地期カンボジアにおけるフランス型司法制度の『継受』(傘谷祐之)

 本報告は、フランス植民地期カンボジアにおける司法組織(organisation judiciaire)を取り上げる。カンボジアは、1863年にフランスとの間に保護条約を締結し、フランスの保護領(protectorat)となった。カンボジア王国政府は、フランス保護領政府(いわゆる植民地当局)と協調し、1901年から約20年の歳月をかけて法典編纂を行い、1911年治罪法典、1920年民法・民事訴訟法典、1924年刑法典などの主要法令を完成させた。同時に、それらの法典を運用する司法組織についても、法典編纂の進展に伴って順次整備を行い、1922年9月14日王令第118号により完成を見た。カンボジアは、これらの法典を編纂し、運用する過程で、フランス法を継受したと考えられる。

 そこで、本報告では、カンボジア国立文書館(Les Archives Nationales du Cambodge : ANC)が所蔵する植民地期の官報や大臣会議議事録、報告書等を利用しつつ、法典編纂による司法組織改革の目的、改革後の司法組織の運用状況、その問題点、そして後のカンボジア法に与えた影響について検討したい。

2、植民地期インドにおける司法-特にイギリス枢密院司法委員会への上訴制度から-(比嘉義秀)

 本報告はイギリス植民地の司法制度の一つの特徴であるところの枢密院司法委員会への上訴制度を取り上げ、それを通じて英領インドにおける司法の形成につきいくつかの側面に焦点を当てることを試みる。現在では多くの旧植民地各国が同上訴制度を廃止した結果その重要性はかなりの程度失われているが、イギリス枢密院司法委員会は1833年の創設以来インドを含む大英帝国およびコモンウェルス諸国等における最上級審として英米法系の法の統一にとって重要な役割を果たしていた。インドにおいても独立後の1950年におけるインド最高裁判所の設立に伴い同委員会への上訴制度はその役割を終えたが、依然としてその判例は先例としての拘束力を有しており、本報告が特に焦点を当てる民事における上訴制度に関してはインド最高裁はかなりの程度、独立以前の仕組みを維持していた。

 しかしながら、そのような上訴制度は英領期を通じて幾度かの手直しを経て形成されたものであり、その過程はイギリス本国のみならず英領インドにおける司法制度の発展およびそれを取り巻く環境の変化を強く反映したものであった。加えてインドから6000キロメートル以上の距離にあるロンドンでの上訴の提起というこの仕組みは、必然的に訴訟追行や時間および費用といった点において固有の問題を抱えざるを得ず、こうした困難に対して当事者及びインド政府がどのように対処していたのかということはそれ自体興味深い論点であると思われる。本報告はこれまであまり具体的な研究の進んでいないこうした問題について、とりわけ民事事件における上訴に焦点を当てながらその一端を明らかにすることを試みる。はじめに1833年の司法委員会創設以降の同委員会への上訴制度の発展過程を概観した上で、同制度のはらむ問題が深刻化し制度改革の議論とその試みが活発に行われた1910年代後半から20年代にかけての時期の展開を主としてインド側の史料に依拠しつつやや詳しく見ていく。